海老蔵も菊之助も幸せすぎ?
五月歌舞伎、東京での仕事の合間に夜の部の最終演目の「男女道成寺」だけ観てきました。
海老蔵の桜子、菊之助の花子。
海老蔵は実は男性の狂言師なのですが、冒頭は菊之助の花子と同じ女形の装いで舞います。
菊之助、いつも美しいですよね。
ただ、女形の海老蔵の隣にいると、なぜか美しさが半減します。
この現象、菊之助が玉三郎と二人道成寺やったときにも感じました。
なんだろう?たしかに海老蔵と玉三郎は完ぺきな美形なので、隣の人が霞むのはわかるんですが、ちょっと霞み過ぎ。菊ちゃんだって十分美しいはずなのに?とっても不思議です。
話は戻って男女道成寺ですが、
うーん・・・、海老蔵もここ数年やる気持続しているし、勿論2人とも上手なんだけど、
「上手ですねー」っていうだけ。
情念で蛇になった女性の悲しさが伝わってこない。気がしました。私は。
なんでだろうなあ、と3階席から眺めていました。
鈴太鼓を持つあたりからは、激しい動きの中にもっと憎しみの視線がほしいんだが・・
最後の鐘にとりつく場面に至っては、なんか妙な鷹揚感が(;'∀')。
そこで気づいたことが2つ。
まず、お2人とも、いまお幸せすぎるんですよね。
あんなに可愛いお子さんを毎日見ていて、男を愛し恨んで蛇になった女の気持ちになんてなれませんわね。
次に、男女道成寺という演目の限界。
そりゃ、男の踊り、女の踊り、男の女踊り、いろいろ見られて眼福ですが、じゃあ狂言師(男)は、いったいどういう気持ちで何を表現すればいいのか?
あんたは、何?
・・難しいですよね。
でも過去すごくよかったのは、勘太郎(現勘九郎)と七之助の男女道成寺。
いつ観たかは忘れましたがずいぶん前です。
勘太郎(狂言師)に、七之助(花子)の恨みがどんどん乗りうつってくる様子が伝わって。最後は心をひとつに鐘にとりつく・・・きっと、中村屋はそういう解釈でやってるんでしょうね。素晴らしかったです。
・・というのは特別な成功例で、やっぱりこの演目は難しいですね。
そして、幸せ渦中の役者さんに、これやらせちゃだめです(+o+)
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。