四十歳で結婚も良し

いろいろあって39歳で結婚しました。
諦めたことも多いけど、面白い人生です。

お葬式

1月23日の朝、娘は亡くなりました。


お葬式は24日の午後2時と決まりました。


23日は会計監査があったので、主人とともに朝からクリニックに出かけました。

午後一番で家に戻りました。お花を買って。


家に戻ると、娘はおとなしく待っていてくれました。

ウンチとおしっこが出ていたので、綺麗に拭きました。


そして、お花を飾りました。

(亡くなった娘をご覧になりたくない方は、これより下は見ないでくださいね。



















4月から主人と毎日付けていた投薬記録も、側に置きました。

主人は、この記録こそが娘への最大の愛の証だと言います。

どんな日も、朝晩夜中と記録し続けました。




23日は、主人が悲しみと体力の限界で、

昼前に「今日中に葬儀ができるところがあれば午後休診にするので探してもらえないかな」とのことで、葬儀ができるところを探しましたが、どこもいっぱいでした。

主人に伝えると

「今日はおとなしく診療しろってことだね(娘の希望)」

と笑って頑張っていました。


翌24日は寒波が来てひどい天気でしたが、午後は休診だったため、娘を乗せて主人と車で葬儀場に。



葬儀場に到着し、

「先生、、!」の声に振り向くと、

葬儀場に、主人の古くからの男性患者さんがいらっしゃいました。

娘より一つ前の時間に、わんちゃんの葬儀が終わったとご様子でした。


主人は、もう、悲しくてたまらなくて、、と患者さんと泣いていました。


娘は、葬儀の準備のために別室に連れていかれました。

しばらく待つと「準備ができました」と呼ばれ、その場所に向かうと綺麗に飾られた娘が。



お耳のお花が可愛いね。


大好きだったプリン、鳥の缶詰とお水を含ませた脱脂綿をお口に当てて、

私たちの匂いのついた普段着を一緒に置いて、投薬記録もそばに置いて、

いよいよ出棺。

焼き場への扉が開き、娘が連れていかれました。

心が引きちぎれそうでした。

娘の名前をたくさん呼びました。


そして、お骨になった娘を、おうちに連れて帰りました。

(12月29日に下書きになっていた記事です)足がむくんできました

去年の12月29日に下書きになっていた記事がありました。


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寝たきりになって6日目です。
チックの発作があったり、時々ビクっ!と身体がこわばるくらいで、呼吸困難の発作もなく、
ただただずっと横になっています。


時々姿勢を変えようとするのですが、そっと抱き上げてもそれが苦しいらしく、辛そうな顔をするので、またサッと下ろしてしまいます。
下ろした後も、しばらく肩で息をする感じになります。負担なのでしょうね。


昨日はお腹がキューキュー鳴っていました。
お腹が空いているんだろうなあと、いろんなもの(全て液体にして)を差し出してみるのですが
結局一番喜ぶのはお水です。
あとは液体にしたプリン、ヨーグルトと、ロイヤルカナンのミルクを舐めます。


液体にした鶏肉やその他介護食品を差し出すと、嫌そうな顔をします。


シリンジでの強制給餌は、主人が否定的なので行なっていません。
たしかに、食べられない、という娘の状態を優先するのが自然なのだと思います。
お水は喜んでピチャピチャ飲むので、食べたければ液体ご飯にも舌を出すんだと思います。



毎朝、娘を主人が抱っこして玄関から外に出て、短時間外の空気を吸わせます。(マイナス10度とかですが、、)
娘は抱っこの姿勢に苦しがりながらも、ぺろぺろと舌舐めずりしていつも気持ち良さそうなのですが、


今朝、主人は外から戻って娘をベッドに下ろしたあと、
「足がむくんでる。もうすぐなんだ」と言って泣き出しました。


娘のことに関しては、主人は性格に似合わず悲観的です。そしてすぐ泣きます。


命のことはわかりませんが、
私は、娘はもう少し頑張ると思います。



お空に旅立つまでの経緯 闘病の概要

自分が介護でどうしようもない状況だったとき、
頼りにしていたのがみなさまが発信なさるブログでした。


●今後、どのような病状 (主に症状)の推移となるのか(最大限の準備をしたい)。
●苦しみや痛みを取る方法には、どんなものがあるのか。
●闘病はどのくらいの期間続くのか(自分の体力や仕事の調整がギリギリの中、これが2年続くのか、1か月なのか、によって介護のやり方は変わってくると思います)
●最期は、どういう形で訪れるのか(安心させてあげなければ・・自分も覚悟をしなければ・・)


このようなことを、みなさまのブログを探して勉強させていただいておりました。もちろん、病気も症状も体力もその子それぞれなので、ひとつの例でしかありません。それでもとても頼りにさせていただいていました。


自分自身も、少しでもみなさまのお役に立てればと思い、これまで治療薬の内容など書いて参りました。
特にうちは一般の獣医さんの処方よりも高用量で処方をしていただいていましたので、その点も含めてひとつの参考になればと・・・。うちの娘には、高用量の投薬が幸いしたと思っています。



まずは、娘について簡単にご紹介したあと、
病状について経緯を整理させていただきます。


2001年11月生まれ。


かなり面白い性格でした。小川に浮いている草を陸地だと思ってズブン!とダイブしたり、間違えて何かマズいことをしてしまったときに、急に姿勢を正して(罪を問われぬよう)スタスタ歩いたり。


「ダメ」は守りますが、「お座り」などは意味は分かりますが絶対にしません。
どうしても欲しいものの時だけ、すごく悔しそうな顔で0.1秒おしりをパンと床にタッチ・・。


夕食時は私と同じ椅子にギューギュー押し合って座り、私の腕とテーブルの間に顔を挟めて、「なにかいただけませんか・・」と弱弱しくアピール。挟まれてゆがんだ顔が可笑しくて・・・。


おしっこが出る付近が赤くかゆくなることが多かったのですが、「おくしゅり(お薬)塗る?」と言うと、サっと仰向けになりバッ!と股を広げ患部を出して「はい、塗ってください!」というのがなんかすごかった。


寝るときは私と一緒。私の股の間におしりをピッタリ挟め、私の膝上付近に顎を乗せて寝るのが定番。私は自由に寝返りを打てず、腰痛がひどくなりました。


人間大好きの動物嫌い。
散歩中ほかの犬に出会ったり、テレビにかわいい動物が出てくると強盗みたいな顔で吠えまくる。ドッグランとかペットホテルはあり得ませんでした。


そんな娘でした。



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2013年 車で散歩に連れていくときに、ひゃっほーい、と興奮しすぎて咽頭浮腫に。激しい呼吸困難により、獣医さんで「危ない状況」と言われながらもステロイドの高用量で復活。
この時に撮ったレントゲンで、頚椎が少しずれていることが分かり、家の中の階段の上り下りを禁止する。


2015年 ある日、急にものを食べなくなる。大好きなジャーキーすら見向きをしなくなる。身体は元気そうなのにどうした?と口の中を見ると少し歯周病っぽかったので、その日から歯磨きを始める。少しずつ食べられるようになり、復活。


このころから、家にリモートカメラを置き、仕事先からも娘の様子を見られるようにする。


2017年1月~3月ころ? 
 寝ている姿勢から立ち上がれなくて暴れることが、2度。足を激しくバタバタさせて、抱っこしてもバタバタしてしばらく立つことができない。これも下垂体腫瘍の影響だったと思われます。目に涙をいっぱいためていました。
思えばこの前後から表情が薄くなってきていました。


2017年8月 下垂体腫瘍からの出血で倒れる。(その日は下垂体腫瘍と分かりませんでしたが翌日大学病院でMRIをして判明)
数日間は難しい状況でしたが、その後ヨロヨロながらも回復。


このときから一緒に寝るのをいやがるようになり、私は2階の寝室でベッドの脚を取り、マットレスだけにして、隣に娘用の布団を置き、娘の様子を見ながら寝る。徘徊も多い。


いろんなところに挟まると抜けられなくなる(前進はできるが後退や方向転換ができなくなる)ので、どこにも挟まらないよう、1階も2階もフェンスを張り巡らせる。それまでトイレは玄関に置いていたが部屋の中に場所を変える。


このときまで通っていた獣医さんには放射線治療を勧められたが、主人と相談をし行わないことに決める。それを獣医さんにお伝えすると「すぐ死ぬ」「あなたがテレビを見ている間に後ろで死んでる」「後悔する」というようなことを繰り返し言われ、また、それまでの検査結果や状態から考えて意味のない検査をされ(痛い検査です)たので、この獣医さんにはその後通わないことにしました。


2017年11月 娘が1日だけ高熱と軽い呼吸困難に。しかしなぜかこれを機に娘の頭が少しはっきりし、表情が若干戻ってくる。


よたよたながらも、家の中をうろうろして、それなりに楽しそうな毎日。


2018年4月 二度目の大発作。でも出血は無かったようで、大きなダメージはなさそう。このころから投薬の時間管理を厳しくすることに。
平日休日を問わず朝6時には必ず投薬することになりました。
そしてこのころから娘が4時ころから起床して階下に降りたいと騒ぐため、下に降ろして様子を見ることが多くなり、私の起床時間はどんどん早まっていきました。


2018年5月ころ さすがに体力の限界となり、娘も1階で寝たほうが落ち着くのかも、ということで1階と2階で別々に寝ることに。
夜中に様子を見に行くことも少なくありませんでしたが、娘は基本ぐっすり寝ていました。


2018年夏ころ 病後、高床式?のごはん台を使っていましたが、それを使っても飲食が難しくなってきました。
・下を向く難しさ
・同じ姿勢を保つことの難しさ(筋力低下+脳の状態)
が原因のようです。
このころから、身体を保定したりスプーンなどでご飯を持ち上げて食べさせるようになりました。


1年前に気づいた乳がんもどんどん大きくなり、赤く腫れあがり、獣医さんに「破れるのが心配」と言われる。


同じころからトイレでおしっこウンチが出来ず、粗相をする日が多くなりました。


2018年8月ころ ある日、おそらく夜間に軽めの発作があっただろうと思われ、状態が悪くなる。
ぐったり伏せたり、眉間にしわが入ることも増えてくる。しんどそう。



2018年9月 北海道地震。震度6弱でしたが娘はぐっすり・・・・。しかし停電後に急に起き、フラフラと徘徊を始める。終始、懐中電灯で照らしてあげなければならないのが妙にシュールで、今となってはひとつの思い出です。


このころ、トイレが意味をなさなくなったので撤廃。
「ペットもすべりにくいビニール製のカーペット」的なものを敷いて、粗相をしても掃除しやすいようにしていましたが、足腰の衰えでそれも滑って歩けなくなったので、その上にタイルカーペット(絨毯)を格子状に敷き、少しでも歩きやすいように工夫していました。タイルカーペットの上に粗相をすることも多かったですが、毎回そのまま洗濯機に入れていました。自分の布団の上でも頻繁に粗相をするので、洗濯機は一日4回~6回まわしていました。


2018年10月 ある日突然、ゴマ粒ほどの固形物も食べられなくなり、すべて流動食となる。お薬も乳鉢で擦って溶かして飲ませるように。大好きなデビフの缶詰や手作りのごはんもブレンダーで液体状に。このころからロイヤルカナン(液体)も飲むようになる。


獣医さんは丁寧に娘の体を触診してくださり、「顔まわりの筋肉が落ちて、咀嚼が出来なくなったようですね。乳がんもかなり大きいので破れたら対策考えましょう。ステロイドは1日10ミリまで増やせますし、麻薬も出せますので、我慢せずいつでも相談してください」とのこと。


2018年10月~11月 どんどん動けなくなる。同じところをくるくるまわるしかないことが多く、体中ウンチまみれになることも多かったです。かわいそうでした。
乳がんも赤紫に晴れ上がってきました。


2018年11月末 頭が痛いのか、ひょっとしたら乳がんなのか、泣きながら頭をこすりつけるようになり、プレドニン(ステロイド)を一気に増やす。1日1ミリ→6ミリ。
増量後は痛みが無くなったのか、このようなことは無くなりました。


2018年12月初旬 自分で立ち上がれなくなる。身体を起こしてあげると、くるくる回ってすとんと座る。ハーネスをつけて、うまく誘導すると家の中を少し歩ける。


12月が一番かわいそうで、こちらも大変でした。
わずかにうごく脚で、ツチノコ(?)のように這いずったり、仰向けにひっくり返ってバタバタして戻れなくなったり、座位のままぐるぐる回って乳がんを刺激したり。常にそばについていないと心配な状態でした。
この時期から、また2階で一緒に寝るようにしました。
娘の寝床をベッドの下に置き、その横に人間用のお昼寝布団を引いて、娘の状態によって私は下で寝たりベッドで寝たりを繰り返していました。


12月中旬、主に夜間の呼吸困難がはじまりました。1分180回くらいの呼吸数になることも少なくありませんでした。よだれを出し、目をむいて、その都度、いまにも死んでしまうのかと思いました。
乳がんの肺転移のせいなのか、誤嚥性のものなのか、全身状態が悪くなっているからなのか、分かりません。理由を追いかける気持ちにはなれませんでした。


2018年クリスマス 気づくと、娘は寝たきりになっていました。
娘の身体に負担がかからないようにいろいろな布団を買って試してみました。また別の記事でご紹介します。
このころから呼吸困難は少なくなりました。一旦食欲が落ち、ロイヤルカナンしか飲めなくなったのですが、また戻り、朝5時くらいになると娘のお腹の音で目覚める(!)という毎日でした。


2019年1月初旬 娘が寝たきりながらも安定してきました。


2019年1月15日ころ 急に痩せてきたように見えました。またロイヤルカナンとお水しか飲めなくなりました。


2019年1月20日 きゃーん、くーん、と鳴くことがありました。そばに行くと安心するようでした


1月21日の夜~22日の明け方 さらに鳴き、夜中に大量に吐きました。吐いた直後、お水に薬を溶かし与えたところ飲んでくれました。その後は寝てくれました。


1月22日 朝、水をスプーン1杯舐めてくれたあと、何も口に入れてくれませんでした。
薄目をあけて、眠いのに寝られない・・・というように見えました。
痛いなら、痛みを取って寝かせてあげたいと思い、プレドニンやデパケンをごく少量の水で練って肛門から入れました。いやそうでした。かわいそうでした。
娘をさわっていいのか、撫でていいのか(痩せてしまって、触ったら痛いのではないか、具合が悪くて触ってほしくないのではないか、など考えてしまった)迷いながら遠巻きにしていた1日でした。


同日夜 主人が仕事から帰ってきました。娘は嬉しそうに見えました。1日中ずっと寝られないでいたのですが、夜9時ころ、主人が撫で続けると寝始めました。


そのまま2階の娘の寝床に運び、3人で寝ました。
「そういえば明るい部屋では娘は鳴かないね」という話になり、娘は暗いのが怖いのかもしれない、ということでデスクライトを娘の近くに置きました。
娘はおだやかに寝ていました。
そのため私は昼寝布団では寝られず(まぶしくて)、ベッドで寝ました。
夜中に何度か耳をすませましたが、娘は穏やかな寝息を立てていました。
朝5時、主人がお手洗いに起きたので私も目覚めました。娘はガー、ガー、と少し湿ったいびきをかいていましたが大丈夫そうに思いました。
しばらくして突然ごぼごぼっ、と音がして飛び起きると、娘がグレーっぽい乳白色の液体を大量に吐いているところでした。反射的に口元にタオルを持っていって娘の顎の下に敷きました。娘は目を大きめに見開いていました。
鼻で息をしたのか、鼻から出た少量の吐しゃ物がスッと鼻の中に入っていくのが見えました。
娘は目を見開いたままで表情がありません。え?と思ってお腹を触ると、息をしていません。
「息をしていない!」と主人を呼び寄せると、少し弱い息をしました。
主人は
「ああ・・もう、虫の息だね・・」と言い、「よし、下に降りるぞ!」と娘を抱っこしました。
主人はゆっくり階段を降り、1階のベッドに娘を置きました。
娘は、もうほとんど動いていませんでした。


そのとき、6時の目覚ましが2階で鳴りました。
私は、2階に駆け上がり、目覚ましを止め、こんなときなのにトイレを我慢できなくておトイレに寄り、2階にある娘用の布団(吐しゃ物がついていないもの)を持って下に降りました。少しでもふかふかに楽にさせてあげたくて。


階段を下りる途中で2人が目に入りました。
主人が私を見上げました。彼はこわばった顔でほほ笑みました。涙がこぼれていました。
「もう、息をしていないよ」


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概要と言いながらとっても長くなりました。
今日書けるのはここまでです。



介護中は、元気だったころの娘のことは辛くて思い出せませんでしたが、いまはよく思い出して主人と話して笑うこともあります。


 
※治療薬を参考になさる方に・・・
それぞれの状態における投薬内容は、そのころの記事に書いておりますので、必要な方はご参考になさってくださいね。