四十歳で結婚も良し

いろいろあって39歳で結婚しました。
諦めたことも多いけど、面白い人生です。

震度6弱でも熟睡

前回の記事は、先月書いておいたものの予約投稿でした。予約していたことすら忘れていました・・。


9月4日深夜~9月5日未明
台風21号がきました。
家がガコガコ揺さぶられて、飛ばされちゃうような感覚で眠れず。
朝起きたら家の物置が破壊され、木が根元から抜け・・
通勤時、街路樹の倒木はもちろん、
信号機たちも曲げられて、思い思いの方向(!)をむいていました。
ご近所で人的被害がなかったのが不思議なくらいでした。


寝不足を取り戻そうとしていた9月6日の未明、地震がおきました。
縦揺れで飛び起きましたが、数歩歩いて、激しい揺れで動けなくなりました。
下に寝ている娘のところに行かなければ、でも動けない。
揺れが収まり、2人で階段を駆け下り、娘のところに到着。


娘が自分の寝床に倒れている


倒れている??


・・・寝ている??!!


   ゴーー


いい寝息だ・・・


「びっくりして死んだわけじゃないよね」
「うん、はっきり寝てるよね」


震度6弱。


テレビをつけたがなにもやっていない・・と思ったら急に画面が切り替わり、
地震を伝えはじめた。


夫は向かいに住む母の様子を見に行き、無事を確認。


はー、お茶でも飲みますか・・コポコポ
2階のタンスが二つに折れて倒れているの知ってる?和服散乱してる
いや、知らない・・・いまは何もしたくない・・
ガラス一個も割れていないのすごいね。ワイングラスみんな倒れてるけど下に落ちてないね
なんて話していると、プツっと暗くなった


あら停電・・


札幌の母とラインでやりとりをしていたが、「こっち停電になったからそっちもなるかも」「了解」のやりとりの数十秒後、「こっちも停電」とメッセージがきた。


懐中電灯を探したり、あれこれ片づけをしたりして1時間ほど
娘が「ふわー」とあくびをして起きた様子。


「うわっ、黒いから見えないね!」


娘はブリンドルで、
娘のおしっこ&すべり対策で黒っぽい敷物をしているせいもあり
薄暗い部屋では、娘がどこにいるか全然見えない!もちろん娘もなにも見えていない。
娘の移動にあわせて懐中電灯を動かす手間があって
非常時なのにちょっと可笑しかったり・・・


この時点でほとんど情報がないので、
厚真であんなことになっているとも知らずに・・。


朝ごはんは冷凍食パンを温めて食べる日常なのですが
うちはオール電化でカセットコンロもなく、
何も食べるものがないので、少し明るくなった段階で車でコンビニに行きました。
しかし信号がついていない。これは相当に怖い。
こんな田舎に交通整理の方が派遣されるわけもなく、
みんなで譲り合って信号を乗り切る。
なんとなくですが「先に交差点に入った順に(右折直進関係なく)信号を通過する」というルールができていました。


真っ暗なコンビニは思った通り長蛇の列。
パンはひとつも残っておらず、飲み物も甘ったるいのとか、くまざさ茶みたいなものしかない。もちろん電池なんかもない。
おかしをひとつと、数個残っていたウィダーインゼリー、くまざさ茶、缶コーヒー、レタス、食べられないけどカップラーメンを2つ持って並ぶ。
レジはバッテリーで稼働していて店員さんが「もう今にも充電切れそうです!品物もないし、切れたらお店を閉めます!」と言い続けていましたが、ギリギリ間に合いました。


「どうしよう、今後食べるものがないねえ」
と困っていると、主人が
「おお!そういえば向かいの母の家はガスコンロだ!」


ありがたいことに、水とガスは動いていたので、
これで当面食べるには困らなそうだ、と安心できました。


しかし電気がない=テレビが見られないと
情報が本当に少なくて。
これは体験してみないと分かりませんでした。


電池式ラジオ(NHK)は聞いていましたが、
・震源は厚真で、山が崩れたらしい
・札幌で一部液状化が発生しているらしい
・全道停電している→その後少しずつ復旧する中でも「札幌市の一部が復旧」というようなあいまいな情報しか入ってこない。
ネットニュースも、大きなトピックスしか出て来ない。
充電が怖いので画像は見ず、テキストしか見られない。
そして徐々にインターネットも通じなくなり、最後までがんばったラインも午後には「圏外」となり使えなくなった。


幸いなことに、私の住むブロックは地震から17時間後の夜8時半ころに電気が復旧しましたが
100メートルくらい離れた地域から先は、さらに1日半停電が続いていました。


電気が復旧し、照明とテレビがパっとついたときは、
涙が自然とこぼれました。
たかだか1日くらい、自宅が損壊したわけでもなく怪我もしていないのに?と思いますよね・・・自分でもそう思います。
でも、いつ復旧するか全くわからず、お湯もなくラジオ以外の音がなく真っ暗な世界はかなり辛い時間でした。


テレビを見たときの衝撃は忘れません。
ひとつは、もちろんですが厚真の上空からの映像・・・あれだけの数の山が一気に崩落するなんていうことがあるのでしょうか・・・。


もうひとつは、ここまでいかに情報が入っていなかったか、ということです。
各地の被害の映像、震源地の地図上の場所、
アナウンサーの声だけでなくテロップでの交通・停電情報・・・
情報が一気に頭の中に入ってきます。


本州以南の人たちだけが、この地震の詳細なニュースを見ていたんだ、
という、少し理不尽なような気持ちになりました。


少し呆れたのが「電気の切れた冷蔵庫にあるものをいかに保存するか。何からダメになっていくのか。先に食べたほうが良いもの」というような情報を、専門家をまじえて長々と伝えていたこと。
テレビなんか、見られないのに?本州の人に伝えてどうするんですか?
もちろん後学にはなるでしょうが・・



最後に、地震の揺れ方ですが、
東日本大震災のとき私は、震度5強、東京都千代田区のオフィスビル9階にいました。
縦揺れのあとの、長く大きな横揺れで、このままビルが倒壊するのでは?と感じました。
天井や壁には亀裂が入りました。
東北の方々から見れば充分に軽い揺れだったのでしょうが、あのときの恐怖はいまでも忘れられません。


今回は6弱でしたが、私の住んでいるところでは縦揺れがすごく、横揺れはあまり感じませんでした。
もちろん歩けないし、しばらく震えが止まらないような揺れでしたが、建物が壊れるんじゃないか?という恐怖感は無かったです。
揺れている最中「なんか、ここ、地盤が強い!」と感じました。
ちなみにうちは一般的な、この地域ではかなり小さめの2階建て木造家屋です(2×4ではありません)。
タンスは見事に倒れましたが、それ以外、大きな被害はありませんでした。


言いたいのは、地震そのものの性質やマグニチュードや震源からの距離だけでなく
その建物が立っているところの地盤や建築方法でも揺れ方が全く異なるんだろうなあ、ということを、身をもって感じたわけです。もちろん階数も大きいですよね。
なので、「すごく揺れた」という人に対して
「たかだか5弱で」とか「私のところは6だから、そっちのほうが楽だったはず」ということは無いんだ、ということを、改めて感じたわけでした。