四十歳で結婚も良し

いろいろあって39歳で結婚しました。
諦めたことも多いけど、面白い人生です。

ケリーバッグ

社会人になって、最初に「これは絶対買う」と思っていたのはケリーバッグだった。


小学校低学年のときに、街中でふと目に留まった女性がいた。

紺色の素敵なワンピースを着ていた。そして手に、恐ろしく美しい革のバッグを持っていた。

私は母に「あのバッグはなあに?とっても素敵」と聞いた。

母は「きっとあれはケリーバッグっていうバッグよ。素敵ね」と答えた。


その日から、私はケリーバッグを忘れられなくなった。

形も素敵だが、その革質だ。ツヤツヤしているのにやわらかそうで、奥行きがある。あんな革が、この世の中にあるんだ・・・。


結果として、初めてケリーバッグを持ったのは、自分が31歳のときだった。

私が探していたのは往年のボックスカーフ。ボックスカーフ以外はケリーである意味がないとすら思っていた。

実際、購入する数年前から店頭でいくつものケリーバッグを手に取ったが、驚いたのは革のクオリティの低下だった。

私が鮮烈に記憶している革質と、目の前のケリーバッグの革質は、明らかに違う。

いろいろな人に話を聞くと、革質は残念ながら落ちているとのこと。

どうしよう・・・あこがれたものと違う・・・

そんなとき出会ったのが、1985年製の黒のボックスカーフ、28サイズだった。明らかに、今のケリーバッグとは品質が違う。革が内側から輝くようなオーラがあった。

ショップの方が、パリのアンティークショップで見つけたものと言う。当時は2002年ころだったので、すでに17年の型落ちだったし、黒は候補に入れていなかったのだが、すぐに購入を決めた。

その後、ほかにもエルメスのボックスカーフを持っているが、これ以上の革に巡り合えていない。


素晴らしい革は、メゾンのスーツはもちろん、普通のTシャツ&ジーンズにも合う。

四隅がどうしても白く剥げてくるのだが、それすらも美しく見えた。


数年前のある日、帰宅すると主人が「白くなってたところ、黒いマジックを塗って直しておいたよ」と、指をさした。

恐る恐る指をさした方向を見ると、、、、、、


主人に向き直り、「ありがとう!」と言った自分を褒めてあげたい。













40代のお洒落 その3 お洋服編②

お洋服編①を書いているときは、20代~30代のファッション変遷を詳しく書こうかと思っていたのですが、

さして面白くもないなあ、と思い直し、トピックスだけ書いておきます。


・20代 雑誌Vingtaine (ヴァンテーヌ)路線をまっしぐら。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8C

バックナンバー

http://www.zassi.net/magalist.cgi?magaid=Vingtaine

~甘辛ミックスのブラウス&ベスト&ジャケットなど、当時としては亜流を行っていました。


・30代前半 Oggi やDomaniなどのイメージで、普通のオフィスカジュアル。

ブランドはトゥモローランド系、マックスマーラ、josephなどが多かったです。

~一番、なんでも似合うころですよね(^^)

和服にはまり、週末はほとんど着物でした。


・30代後半 Domani,時々Precious,という感じ。

少しカジュアルを意識するようになりました。トゥモローランド系に加えてエストネーション、ウィムガゼットが増えてきました。

相変わらず週末は和服でした。


で、40すぎても上記のようなクローゼットだったのですが、なんだかしっくりこないわけですよ!先述のとおり、眼鏡になったことと、もちろん老けたこともあります。


そこで私が試したのは、

思いっきりナチュラル路線に踏み入れることでした。

結婚で、東京から北国の田舎に移ったこともあり、環境としてもナチュラルでOKでした。

雑誌で言うとリンネル、お洋服やさんは、

丸の内の「かぐれ」さん

http://www.kagure.jp/shop/

NADELLさん

http://www.nadell.jp/nooyさん

http://www.nooy.jp/nooy2/

あとはマーガレットハウエルさんとか。


いや、とっても良かったです。どのお洋服にも愛着が持てて。楽だし。

でもね、ここまでナチュラルなお洋服って、なんか私が着るとだらしがなくなるんです。

私の眼鏡顔にもイマイチあわなかったし。


ナチュラルもダメかあ・・・・


そこで、私の眼鏡顔に合うスタイルを、ネットでいろいろな写真を出して数週間にわたり本気で考えてみた。

今はもうエレガントは無理。

クラッシックはイケる気もするけど、普段着としては難しい。

まず、眼鏡のイメージを生かしてどこかに堅さがあったほうがいい。しかし、部分的に思いっきり抜けがないとただの眼鏡おばさんだ。

そうすると、、少しモード寄りのフレッピーあたり?


そこで、前から好きではあった(が、自分にはお洒落すぎると思っていた)、

アパルトモンさん

http://style-cruise.jp/shop/lappartement/

に改めてチャレンジすることにしました。


表参道に行く機会は多く、だからこそウィムガゼットさんにもお世話になっていたわけだが、その日はウィムではなくアパルトモンの扉をくぐった。


秋だったので、ふと目についたツイードの2ボタンのジャケットを着た。ハリスツイードの生地で、深い茶色だった。

鏡で見ると、形がきれい・・・。眼鏡顔が映えた気がした。

次に、水色のクレリックシャツ(襟は白)を中に入れてみた。この色のギャップが知的でお洒落だ。

さらにカーキ色の金ボタンの薄手のカーディガンをジャケットの中に入れてみた。

うーん、眼鏡顔に合う!!

むしろ眼鏡がないと難しいかも。


わたしが探していたのは、これだ~~っ!


頼れるショップを発見した瞬間が、今でも忘れられません。

その後も、大変お世話になっています。

銀座店が無くなってしまい残念ですが、今後もお洒落の軸にしていきたいと思っています。


年齢を重ねて、私のようにお洋服を悩まれている方々も、肝となるブランドやセレクトショップをひとつ見つけられると楽になると思います。

必ずしもそこで購入しなくても、お店に行くだけで「ああ、こんな風に着こなせばいいんだ」と前向きな気持ちになれる、そんな場所はとても大切だと思います。

でも、簡単には見つかりません!

時間と、足と、多少の投資は必要かと思います。私もまたいつジプシーになるか分からない、と考えるとうんざりしますが、その時はまた頑張りたいと思います。

40代のお洒落 その3 お洋服編①

(投稿したつもりが、下書きのままになっていましたので、日時が前後しますが一応投稿します)


お洋服を巡っては、みなさんいろいろな歴史をお持ちだと思う。


うちの実家は普通のサラリーマン家庭だったが、父が優秀で出世が早く、まあまあの収入があったと思う。

しかし、私は貧乏だった。

姉が生まれつき障碍者で医療費がかかる上(しかも両親が意地で障碍者認定をしていなかったので医療費控除がなかった)、将来にわたって一切働くことができないため、我が家は、彼女が高齢で死ぬまでの最低限の生活費・医療費を貯蓄しておく必要があった。


そのため、たとえば私の高校時代のお小遣いは7000円だったが、そこから通学定期券代(4000円くらい)、参考書を含む各種書籍代、文具代、喫茶店代、お洋服代!すべて賄わねばならなかった。

悪いことに、私の高校は私服通学だった。しかも進学校だったのでアルバイトをする時間もなかった。参考書などの本は古本屋で買ったが、洋服を買えるようなお金は残らなかった。それでも少しずつ残したお金を貯め、お年玉が2万円くらいもらえたので年に3着程度のお洋服を買って、あとは母が縫ってくれた服を着てしのいだ。

当時はお洋服が高かった!安くお洋服を買う方法は、大型スーパーの洋服売り場くらいだったが、それは私の妙なプライドが許さなかった。靴やバッグも、合皮のものは絶対持たなかった。いまでも不思議なのだが、昔から品質の悪いものは絶対に持ちたくなかった。


そんな私。

大学を出て社会人になり、入社の抱負として述べたこと・・・

今でも顔から火が出そうだが、

「スーパーでの買い物帰りに、ふと目に留まった車を衝動買いできるような生活レベルを目標に、仕事で成功をおさめたい」

バカじゃないですかね!いや、バカですよ~~;。なんで入社式でそんな。。

でも、それくらい「お金を自由に使えること」にあこがれて、そのための努力は惜しまない、と考えていたんです。実際、アホみたいに働きました(笑)。


って、すごい横道に逸れました。


言いたかったことは、若いころは品質の良いお洋服やバッグにあこがれ、でもそんなものを自由に買える環境になく、その点のストレスが大きかったということです。


長くなったので、②続きます。